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我楽多彩都-がらくたさいと-

神話の国は出雲?(駄洒落)の旅 in 島根県(2000.10.22)

 色々思うところあって、島根県の出雲大社へ行くことにしました。

 元々は、職場の上司にいただいた出雲大社のお守りが成就したのでお返しに上がろうと思ったのですが、計画を立てていた直前に島根・鳥取方面で大きな地震があり、親に反対されたので日帰りでばれないようにしてみました。

 日帰りなんで、朝は早いです。

 さすがに始発ではないのですが、5時前の電車で東京駅へ。そこから新幹線で新大阪を抜け岡山県へ。更に特急やくもに乗り換えて島根県へ入り、更にさらに鈍行で出雲大社前へ。
 
 もうね、新幹線使おうが特急使おうが、すんげぇ時間かかるんですよ。6時間以上かかるのね。

9時24分発の特急やくもへ。西村トリックじゃないよ。

 正直静岡〜名古屋あたりは暗かったしずっと眠っている状態だったんですが、特急に乗り換えてからもホラ地震の影響で線路のゆがみとかあるといけないし、余震もあったから徐行していくわけですよ。

 半日かかって、ようやく島根県に入り宍道湖畔に沿って走る列車。ははーこれがウワサのシジミの産地なのだなとぼんやり外を眺めていると、今度はすんげぇデカイ川を渡っていくんです。なんだろこの川…と思っていたら、車内アナウンスが。

渡り始めはもっともっと、はっとするくらい広大でした

「ただ今渡っておりますのは、斐伊川と言いまして…」

 斐伊川といえばヤマタノオロチの伝説の元になった大河です。大昔、その氾濫する様を八つ頭の大蛇が暴れる如くとして、神話に登場したわけですね。

 ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトは、いわゆる治水者であり、そういった公共工事を施工させた(することが出来た)権力者だったのだろうと思うのです。

 いきなり神話の世界の片りんを目の当たりにしてテンションが上がった私です。

 島根県は電車事情もなかなか特殊で、こんなに有名なおおやしろがある地なのに、ローカル電鉄で細切れに乗り継ぎが必要です。

乗換は電車の前を通って線路を渡っちゃう。

 宍道湖畔に沿って北側をぐっと通ってきた電車を「川跡(かわと)」という駅で乗り換えて線路を渡り、出雲大社駅前へ。ほぼほぼ終点。そういえば、川跡って変わった駅名と思うより先に、美談(みだみ)駅なんてところを通過しまして。地名はやっぱ難しいよね。地元だと「道祖土(さいど)」あたりが難読。
 
 さて、出雲大社前駅で下車して、ぐるっと見回すと巨大な鳥居が。
 
 すんげぇでかいんですよ。鳥居の真ん中に「額束」っていう看板みたいなものがあるんですが、あれの大きさが6畳敷。6畳ったらあたしの部屋と同じくらいの面積。

 説明書きも読んで更にテンションアップしたところで、本体の方は何処かと案合図を探すと、なんと今来た方向と逆。

 まー、さすがに7時間くらい電車乗りっぱなしで疲れてしまったので、出雲大社は目前だったのですが先に昼ご飯を食べることにしました。

 ちょこっと裏道を歩くと、「出雲そば」の暖簾が。
 ご当地そばとは、ぜし!と思いお店に入ると、通常のお昼より少し早い時間だったので人はいない。

 とりあえず、出雲そばを注文。
 運ばれてきたそばはコチラ。
 あー、あったかいそばなんやねぇ。ちょっと平たい感じで。うんうん。具とかこう、「出雲ー」って感じのモノは特になく?うん。ネギ…とか?少し?
 ずずずー。

 御馳走様でした。ええ、ええ。

 なんか、次はもっと出雲っぽいものを頼もうと思いました。や、おいしかったですよ。普通に。おそばとして。

 さて、おなかも落ち着きましたのでいよいよ出雲大社に参拝です。

 駅の前を再度通リ抜けて真っ直ぐ。すると……おお?おおおー?
 見えてきました。おおやしろの鳥居。大鳥居の迫力には適わないものの、荘厳な雰囲気で佇む鳥居に、ここから神聖な地へ行くのだという緊張感が。
 参道はゆるい坂になっていて、幅がとても広く、やっぱり通常の神社とは趣が違います。

雨天だったのにとても明るい。


 中間の鳥居を超えていくと、何やら人影が……。
 オオクニヌシノミコトが、何やら波間に玉を浮かせております。
 説明書きには「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」と。なんかですね、大国主命が出雲で国を作って「私が一人でこの国を造ったので、私が治めるのだ」とか宣言したところ、「ホホホホ、私があったからできたのですよーーー」と現れたのがコチラ。
 重ねて「私を丁寧に祀ったら今後も良くしたるわー」って言ったらしく、大国主は「うん、ええよー。どうしたらいい?」って答えたらしい。
 古事記の話の解釈はいろいろあって、始祖の神の魂であるとか、大国主の内在するパワーあふれる魂のことだとか、なんか全然違う神様なのだとか。像は一応、なんか玉らしきモノで描かれているようですが。

 手水舎で手口を清め、いよいよもう一つの鳥居の奥に……
拝殿が見えてきました!
 じゃじゃーん!
 と、ここで虎の子のデジカメが電池切れ!
 信じられない!ここからがメインなのに!

 いやもう本当ショックで。大注連縄とか、注連縄の下がった縄の先端に刺さった硬貨とか、参拝の方法とか、いろいろ紹介したかったのに。
 そうそう、出雲大社は参拝の仕方が普通の神社と違うんですよ。通常、2礼2拍手1礼なんですが、こちらは2礼4拍手1礼。このあたりは諸説あるようなので、なぜこうなったのかはみなさん各自でお調べになると面白いのではないでしょうか。

 写真も撮れないところ、結構時間をかけて敷地内を巡らせていただき、大昔の出雲大社の想像図や、大国主の義理のお父さん(嫁さんのお父さん。でも、大国主の血筋を遡ると直系の曾々々々祖父くらいに当たるらしい)であるスサノオノミコトのお社とか色々見てきました。

予備のおもちゃデジカメによる写真。

 オオクニヌシノミコトは、アマテラスオオミカミが孫にお前の国を譲りなさいと言われて(一応交渉の末)国譲りをして引退した神様です。
 その代わりに、あなたたちと同じくらい立派に祀って欲しいと条件を出して、それが今でもこんなに立派なお社が保たれているわけなのですね。

 日本人の柔和さというか、武力だけじゃなくて押したり引いたりして良い条件で一歩引くとか、損して得取れみたいな精神というか、もうこんな神話の時代から流れができているんじゃないかと思うレベルのエピソードが。

 アマテラスや孫のニニギは高天原の神の国の神様ですが、大国主は葦原の中つ国、いわゆる地上の神様なのですよ。国譲りの後は黄泉の国を治めているといわれていますが。その地上の神様達の頂点であって、だからこそ神無月には出雲の地だけ神在月になるわけです。
 ギリシャ神話の神様も近い役割分担があったりするけど、互いに尊厳を失わずに今でも祀られる神様たちが居るってスゴイよね。

 さて、当初の目的も忘れることなく、縁結びのお守りをしっかりお返ししましてお礼も厚く申し上げ、今度は帰路に。

 帰りに電車で6時間かけるわけにはいかなかったので、帰りの交通手段は飛行機です。
 出雲空港から飛び立つので、出雲大社前駅から電車で乗り換えながら出雲市駅へ向かうのですが、乗る電車…というか、乗り換えるところを間違えて出雲大社前から30分弱位の一畑口駅というところで慌てて下車。
 ここで時刻表を見ると、なんと逆方向の電車30分以上無い! いや勿論進む方もないんですけど。

 さすがに内心めっちゃ焦ったけど、もうどうしようもない。お金は困らない程度入れているので、もし帰りの飛行機に間に合わなかったらどうしようかと思いながらその辺を散策。
 いや、なーんにも無いんです。周りはだんだん薄暗くなっている中で、歩いていくと、宍道湖畔が見えてきました。海みたいにデカイ水平線が、却って私の心をざわつかせ、落ち着かない雰囲気で再び駅に戻ってきました。
 ちょうど電車に乗ったところで、航空券のチケットの時間を確認すると18時30分の便。今現在17時前。
 おお!?これってもしかして、ジャスト丁度良い時間なんじゃない!?

 期待と不安半分で、出雲市駅に着くと、オオクニヌシ像パート2が。
 無事家に(今日中に)還れますように とお祈りしつつ、空港行きのバスへ。

 いやー、この便で、空港に着くと羽田への飛行機の出発時間にジャストだったらしく同乗者がみんなそのまま搭乗口へ。空港内で迷うこともなく一安心。余裕で飛行機に乗ることが出来ました。

 小型の航空機だったせいか、途中乱気流にもあって結構ゆれたりしたのですが羽田に着いたのは20時半とほぼ予定通り。
 その後電車で地元まで帰ってきて22時過ぎ。

 翌日の月曜日に職場で「出雲」という焼印がある小判型のミニ饅頭を配布し、日帰りで出雲に行ってきたんですと言ったら変人扱いされました。

 この記事を掲載した2014年は、60年に一度の式年遷宮もあり、再び興味津々な土地なのです。皆さんも機会があったら、ぜし!

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